峠 佑樹Toge Yuki舞踏カンパニーpeciko

『鉱物の夢』

鉱物は生きている。
少なくとも、19世紀初頭に生物学を提唱したラマルクが、鉱物と動植物を分かつまでは、そう信じられていたようだ。

「鉱物体」・「植物体」・「動物体」。昔、笠井 叡氏の稽古で繰り返し語られていたテーマだ。当時おどりをはじめたばかりの僕は、氏の話す内容がさっぱり解らず、ただ言われるがままにがむしゃらに身体を動かした。
あの時、理解できなかった言葉の数々が、今ではわかる気がする。

「鉱物は一体何を養分としているかというと、もう養分にするものはないわけですよね。ですから鉱物的な生命と言った時の生命が何なのかということは物質を解明していく上でものすごく大事なポイントなの。植物的な生命は必ず成長の彼方に死があるわけです。ですから死ぬことによって生命が豊かになる。(中略)
鉱物の場合は生命を練ることができない。なぜならば、死なないでただ無限にずーーっと成長し続けるだけなんですよね。だから鉱物の場合には死と再生がないんです」

「鉱物的生命というのはそうなんだよ。生も死もない」

『過去・現在・未来』というが、僕はついぞ「いま、ここ」しか感じられたことがない。
過去は記憶でしかないし、未来については知りようがない。
鉱物のほうが、僕よりも『過去・現在・未来』について良く知っているのではないかと思う。
そして、それゆえの「鉱物の孤独」について想いを馳せる。
ヒトよりも遥か永い時を在り続ける鉱物。
彼らの居場所は、何処にあるのだろうか?

舞踏公演『鉱物の夢』
永い永い時を揺れて眠る、結晶と身体の在り処についての考察。
「誰もみたことがない世界」がひらかれる瞬間を、ぜひ体感しにいらしてください。

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