舞踏カンパニーpeciko

死に続けるもの

いつ頃からだろうか、「死」というものを意識するようになったのは。
幼い頃にひたすらに怯えていた、死に至る痛みや虚無への恐怖感というものは、いつからか仄かな親しみのようなものに変わった気がする。

歳を重ねるにつれて、身近な人々や憧れていた大スターが天に召されていき、そこには色々な気持ちがあるけれど、一様に悲しいだけではない感情を抱く。
かつて一度だけ、死によって全てが満たされたような気持ちになった事がある。
木々の葉っぱや蝶、夜空の星や台所の鍋、すべてのものに故人が生まれ変わり、宿っているような感覚。常にその人といるような、寂しくはない気持ち。おそらく、それは誰とも共有できない・共感できない感情かもしれない。
生と死というのは此岸と彼岸のようなものではなく、同じ地平にあるではないか。
我々は生き続けていると同時に、死に続けているのではないか?と諒解したのはこの時からだった。

干涸びた虫の亡骸や、立ち枯れた植物を夢中でみているときの子どもの瞳の奥には、なにがあるのだろうか。欠けているものを求めて空回りしながら足掻くからだは、きっと生と死を全力で生き抜き、死に続けている。
おどりは、その在り処を探し続けるのだろう。

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