峠 佑樹Toge Yuki舞踏カンパニーpeciko

舞踏って?

先日ラジオの収録があり、「舞踏ってなんですか?」と聞かれて言葉に詰まってしまった。「1960〜70年代にかけて、舞踊家・演出家の土方巽という人が中心となって行われた身体表現で・・」というような決まり文句を口にしたが、どうにも収まりのない気持ちを抱えている自分がいた。

ネットで『暗黒舞踏』と検索すれば、「なるほど」と思えるような的確な解説が存在するし、自分がラジオで述べたことも間違いではないとは思うのだけど、「舞踏とはなにか?」ということは自分にとって感覚的・体験的に捉えていることなので、杓子定規な答え方では上すべりなものに感じてしまう。

そもそも、アスベスト(*注1)や駱駝(*注2)でやっていた訳でもなく、「舞踏」と呼ばれているものの入口でふらふらしていた自分に、果たして舞踏を名乗ったり語ったりする資格があるのか?とも思ってしまう。

おどりを始めるきっかけになったのは、土方巽のことを特集していた雑誌を読んだからで、その頃にはもう土方はとっくに亡くなっていて、ただただ写真の土方の風貌や「舞踏」という馴染みのない言葉に惹かれた。その後、大野一雄の公演をみて訳も分からず涙し、笠井叡という人にひたすらに憧れ、稽古場に飛び込んだ。熱く当時のおどり仲間と語らったこともあったけれど、それ以上舞踏というものに踏み込むことはなかった。

むしろ意識的に避けていたように思う。自分のことを「ダンサー」と呼ぶのも気恥ずかしく、やっていることを「ダンスです」と言うのも違和感があって、ずっと「おどりをやっています」と言っていた。

舞踏というものに向き合って、頭から爪先までそのなかにどっぷりと浸かるということはなく、ひたすらに手前勝手な拙いおどりだけをやってきた。

昨年(2015年)、自分のなかで大きなきっかけがあり、ダンス公演を行うことになった時に、「舞踏をやろう」と思った。

自分にとって、「舞踏」と名乗ることは大変な勇気がいることで、自分のことを「舞踏家」というのは最高におこがましく、ましてや「舞踏カンパニー」なるものを立ち上げるとは「なんたることか!」と卒倒してしまいそうだ。

バレエをむか〜し昔に一年間しかやってないような人間が、「私はバレエダンサーです」といってバレエカンパニーを立ち上げるようなものである。

でも、決めてしまった。上手く言えないけれど、自分のなかにそうせざるを得ないものがあった。

それはなんていうか、自分にとっては「舞踏」だ。

 

そもそも自分なんかに舞踏を語る器量はないが、舞台に立つ者に存在を曝け出すことを迫り、観客にとって体験となるような現象を舞踏と呼ぶのではないかと思う。

「スゴいことやっちゃった・ヤバいものみちゃった」っていうのが大事なんだよ。

生と死が手をとりあって、前にも後ろにも無限に延びる時間のなかでおどっているような、一瞬のなかに永遠があるような、そんなことができるだろうか。

 

もう随分と前のことだけれど、三上賀代さん(*注3)が本番を観に来てくださったことがあって、「峠くんは(舞踏)第5世代だね!」と言われたことがあった。

その時は「第5て・・・土方ほとんど関係ないやん」って思ったが実際そうだし、自分で第5世代なら今の舞踏やってる若い人は第7か第8くらいなんだろうか、、と思ったりもする。

前の世代に乗り切ることができず、新しいものにもついていけないけれど、自分なりのおどりはできるかな。

置いてけぼりの第5世代の舞踏に、どうぞご注目ください。

きっと面白いから。

 

注1:アスベスト・・・「アスベスト館」元藤燁子により東京・目黒に設立された「舞踏」創造の場。土方巽の活動の拠点となった。

注2:駱駝・・・「大駱駝艦」麿赤兒が主催する舞踏集団。

注3:三上賀代・・・舞踏家。「とりふね舞踏舎」主催。土方巽、野口三千三に師事。

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